941::blog

たまに面白いことをいうブログです

エンジニア1000人が参加したYAPC::Asia 2013の企画の話と #yapcasia 運営事務局長を4回やった振り返り

YAPC::Asia にご参加いただいた皆さん、ご参加いただかなかった皆さん、とにかく話題にあげていただいてありがとうございました!今年は合計で 1,131名もの方にご参加いただきまして。

参加者の皆さんとかの感想エントリはこちらにまとめ中。このエントリに「おつかれ」「ありがとう」などブクマする暇があったら参加者の方は感想エントリを是非書いてください。嘘ですブクマしてください。
YAPC::Asia 2013 感想エントリまとめ(募集中) | YAPC::Asia Tokyo 2013

というわけで、運営側としてYAPC::Asiaに関わるのは今年で最後となったので、凄く楽しかったこととか大変だったこととか思い出とか、運営側として、企画側として、忘れないうちに残しておきたい。




以下、1万2000文字の目次付きポエム。お時間ある時にどうぞ。

YAPCの歴史
Perlは衰退していると言われながらもYAPCの規模が大きくなっているのはなぜだろう
YAPC::Asia 2013の始動と運営体制
YAPC::Asia 2013の企画
YAPC::Asia 2013で一番感動したこと
牧さんのこと
YAPC::Asiaのこれから

YAPCの歴史


YAPCというのは Yet Another Perl Conference の略で「もう1つのPerlカンファレンス」というニュアンス。「参加費が超お高い技術カンファレンスはあるけれど、プログラマがいればカンファレンスって出来るよね」という思想で手弁当で作り上げた草の根活動的なカンファレンスだったらしい。最初はアメリカで始まり日本ではロックスターmiyagawaさんが「Asiaやろうぜー」と言って開始したのが2006年で、当初は150人くらいの参加者だったらしい。その後も年に一度のペースで開催され、miyagawaさんからtakesakoさんにバトンが渡り、個人でやるには大きすぎるイベントになった頃の2009年にJPAJapan Perl Association)を設立し、代表理事であるlestrratさんがYAPC::Asiaの運営を引き継いだ。

そして忘れもしない 2010年の3月31日の夜、最初に運営として関わったこのエントリで書いてるけど
YAPC::Asia Tokyo 2010 をやってきた! (準備編) - 941::blog
JPAの理事会に呼ばれて気付いたらYAPCを手伝うことになっていた。規模も大きいし、それなりに時間もかかるだろうということで上司の許可も出ているのでYAPCの運営業務は仕事の一環としてやっている。
2010年当時はたしかまだ600名くらいの参加者を見込む規模で、それが自分も運営として関わるようになって徐々に参加者も増え、現在では Perl だけではなくインターネットに関わる全てのエンジニアが楽しめるお祭りになっている。はず。それがYAPC::Asiaっていうイベント。Perl書いてない人も参加してる率がとても高い。

自分自身はプログラミング経験がないけれど(始めようと思ってるとこ)、昔から同僚でもある Perl 界隈のプログラマ達と深く付き合いをさせてもらっているというのもあり Perl 界隈の文化が好きで、何かしら協力をしたいなと思っていたし、今もそう思っているので「プログラマのためになることをする」というのをテーマに企画やイベント運営などで出来ることを色々と手伝わせてもらってる。

YAPC::Asiaは年々参加者が増えていて、2010年で600人、2011年で700人、2012年で850人、そして今年の2013年では1131人となった。当初は沢山の人を呼ぶ拡大路線にはあまりポジティブでは無かったけれど結局は参加者が増えることで Perl のコミュニティをより多くの人に知ってもらえたと思うので、間違いでは無かったと思ってる。  ここまでYAPCをやってる理由。

この写真は2010年のYAPC::Asiaで撮った、Perlの開発者Larry Wallと。
885_large
(C) JPA

こっちは2012年に「もう3回やったしそろそろいいですかね!?」と言って撮ってもらった Larry Wall & miyagawa さんとの一枚。プログラマーなら腰砕けモノだろうけど俺違うのでまだ生きてる。
bc0953225b0824468366-1024


Perlは衰退していると言われながらもYAPCの規模が大きくなっているのはなぜだろう


Perlが衰退しているかどうかについては、実際にプロダクトで利用している企業が現在も多くあり新たに始めるビジネスで選択肢に入ってこないとしても、こういった技術者の本質を重視するコミュニティや文化が Perl にはあるので「衰退した!」と言われてもいちいち反論するのも面倒くさいかんじがある気がする。(自分はコードを書くわけではないのでここらへんのニュアンスは少し難しいけど、動いてるコードが正義だとすれば間違いなく Perl は日本のインターネットの大部分を現在も支え続けている)

YAPCの運営事務局長となる以前はYAPCに参加したことも無かったので、どういったものなのか知りたくて参加者と話していると「最適な方法が他にあるなら Perl じゃなくてもいい」と言う人が多くて、正直意味がわからない。Perlのカンファレンスに参加しておいてそんなこと言うかね!?と最初は思っていたけど、実際そんなもんらしい。ただ、軸足はPerlというコミュニティにどっしりとあるという人が多い。

YAPCでのトークや、Perl コミュニティを見ているとよく使われる言葉が2つあって

TMTOWTDI
There's More Than One Way To Do It. の略、「やり方はひとつじゃない」という意味。

もう1つは stfuawsc
Shut the fuck up and write some code. の略、「うだうだ言ってないでコードを書け」って意味。

参加者の多くがこの考え方を持っていて、常によりよい方法を模索しているというイメージがある。
Perl コミュニティには、色々なやり方があっていいという懐の深さと、とにかく行動した結果で物を言えという文化があって「Perl Hackerこわい」と冗談まじり(わりと本気?)で言われたり、とっつきにくそうというイメージもあるそうだけれど、与えられるだけではなく与える側にまわってこそ楽しさがわかるというコミュニティなんじゃないかなと思っている。

200_large
(C) JPA

実際に会場に足を運ぶと、テキストだけでは伝わらないニュアンスが理解できるし、会って話してみると皆すごく優しいし、常に向上心を持っている人達なのでどんな意見でも歓迎してくれる。(会ってみたらやっぱり怖かったとか世の中あまり無い)

Perlって最高!これ以外は言語じゃないぜ!ヒャッハー!」なんて聞いたことないし、どちらかというと「どんな書き方でもいいけど、それはスマートじゃないよ。もっとこういう方法がいいんじゃないかな」という人の方が多いので、Perl は書いていないけど技術者としての刺激を受ける人は多いと思う。そしてそれがきっと YAPC::Asia というイベントの本質なんだろうと思う。

アンケートや、折にふれて会場などで聞いている「今回が初めてのYAPCだ」という人は体感で年々全体の2割くらいがいて、一度来ていただいた人達はまた次の年も参加してくれているように思う。Perl自体は書いたことがないという参加者も毎年少しずつではあるけど着実に増えているのも、言語自体ではなく周辺技術やエンジニアとしての琴線にふれる部分が多く、刺激になるからだろうなと思っている。

IMG_6269.jpg


YAPC::Asia 2013の始動と運営体制

ボランティアスタッフのキックオフで言ったけど、2013のスタートは物凄く早かった。
具体的には 2012の「運営お疲れ会」を少人数でやったのが2012年の10月22日。「来年どうしますかねえ」という話は毎年出ていて、その時も勿論その話になった。自分はずっと「やれる人がやればいいじゃないですか」と言っていて牧さんは「やりたくないんじゃなくて、余力あるうちに次の人に渡す体制にしたい」と言ってた。

個人的には、よくわからないまま終わった2010、何となくこなれてきた2011、ある程度やりたいことが見えてきて運営スタッフの体制も出来上がった2012と来ていたので、2013は「自分がやりたい事」をある程度盛り込んでいけると踏んでいたので「2013はやらせてください」と話した気がする。たしか。なので YAPC::Asia 2013は10月に始動して9月に開催したので11ヶ月ほどかけたということになる。11ヶ月だって。すごいな。マジか。そんなにやってたか。

DSC02390
Photo By Masayuki Ishikawa


脱線した。で、2012年の年末に色々とやりたい事とか考えて、1月にはざっくりした企画書を作ってJPAに出し承認をもらい本格的に始動した気がする。お金もかかることなので方針とか何するつもりとか大事なのよね。

2013は牧さんの意向もあり、今までとまったく違う運営のアプローチとして「参加者1000人目標、予算をまずは決めて進めていく」という形になった。お金に関しては牧さんにまるっとおまかせしているので、自分は企画と全体の進行を担当。

最初に行うスポンサー集めをどのような方法にするか、去年と同じでいいかという話をしていたところ
まずは技術系のスポンサードをする際の企業の窓口となっている方に話を聞いた。曰く「一口10万よりも『これをするならいくら』というメニューになっている方がわかりやすいし社内的にも話を通しやすい」という意見をもらい「たしかに!」ということになり、では最初にやるべきなのはスポンサーメニューの作成ですねということになり作成開始。2月くらいにはほぼ完成していた気がする。

運営体制としては、2012のスタッフ打ち上げで「もっと企画の段階からボランティアスタッフを入れてはどうか」という意見をもらい、太田さん、umeyukiさん、もんもんさん、toriiさんの4名にコアスタッフとして企画段階から入ってもらってYAPC::Asia 2013 はスタートした。



コアスタッフの皆には月に一度集まってもらって、お弁当を食べながら進捗を共有したり、企画を一緒に考えてもらったり、やると決まったらそれぞれ担当になってもらい進めてもらった。去年までは自分で細かいところまで全てやったのでそれはそれで大変だったため個別にタスクを預けることが出来て助かった反面、自分ではイメージが出来ているものを誰かに任せるというのは結構大変で、やはり誰かに渡すというのは難しいなと何度も思った。コアスタッフとはいえそれぞれ本業がある中で時間を割いてやってもらうので「今すぐにやってほしい」とか「思いついてすぐで申し訳ないけど明日までに色々確定させたい」というものも中にはあったりして、そこらへんのスピード感で進められないことも当然あって、もどかしいというかなんというかそういうのもあった。

写真はコアスタッフで主に技術部門を担当してもらったtoriiさん。クロージングで投票数をカウントしてるとこ。
DSC02304
Photo By Masayuki Ishikawa


運営スタッフの仕切りは自分が担当。全体のスケジュールを切って、いつまでにこれを発表するとか手配するとか決めて、進捗を確認しながら遅れが出ていないか管理。遅れていたら確認するとかフォローするとかタスクごともらうとかそういうのもやった。本当はこの進捗管理みたいな部分も誰かに任せたかったところ。

連絡手段について、開催寸前までは基本的にIRCをメインに議論や進捗確認をして、コアスタッフの間ではLINEのグループを作って連絡はそこで行っていた。その他、決まったものはMLで共有して、Facebookグループは今回はあまり使わなかった。イベントの開催中は30人ほどのボランティアスタッフが入っているLINEのグループで随時状況の確認や連絡などを行っていた。

去年もLINEのグループ使ったんだけど、LINEホント便利。
image

開催前の準備は会場担当者との連携部分で問題があり、例年よりもかなり時間がかかってしまった。前夜祭の開始が大幅に遅れてしまったのは、自分が担当者にずっと捕まっていたので原因だと思っていて準備は時間との勝負な部分が多いので判断する側として「それ今やらなくていいので先にこっちやりましょう」という指示が出せなかったのがとても痛い。

荷物のチェックから始まり(各種ノベルティなど大量に届く)



組み立てチェックをしたり



ノベルティ詰め作業では、あまりの単純作業の辛さに現場監督から「心なんて捨てちまえ!」という大胆なワードが飛び出す自体に発展したりとかなり大変。ほんとスタッフの皆さんありがとう。





この写真はクロージングも終わり最後の最後に撮ったボランティアスタッフでの集合写真。
777_large
(C) JPA


YAPC::Asia 2013の企画


イベントをやる時はテーマがあるとしっくりくる派なので、毎回テーマを決めてから動き始めている。いつも牧さんと少し悩むけど、今年のテーマはわりとすんなり決まった。YAPC::Asiaは常々「Perlのお祭り」と呼ばれていて、主催としてもそれを意識しているところはあるので、今年こそきっちりお祭りにしたかった。なのでテーマは「エンジニアのエンジニアによるエンジニアのためのお祭」とした。

運営のメインである自分はエンジニアではないので「エンジニアによる」ってのは厳密に言うと違う部分もあるけど、こまけぇこたあいいんだよ!ってことでそこは気にしないかんじで。というか俺がエンジニアかどうかなんて最近はもう誰も気にしてないか。



で、2013年は不思議なことに「祭」をテーマとした技術系カンファレンスがとても多かった。技術系のイベントを運営している人が集う秘密のグループが実はあってそこで色々と裏方の情報を共有していたりするのだけど、テーマについては事前に相談などはしないので本当に偶然。「祭」がここまでかぶるとは思ってなかったのでシンクロニシティだなーと思いつつ、全国的に人々は祭りを欲しているのかも知れないなと思った。

写真はRubyKaigiの角谷さんに会場の紹介やらしてるところ

Photo By Masayuki Ishikawa


話は企画に戻り、まず最初にスポンサーメニューを作るにあたってテーマに沿った企画を考えた。何をして何をやらないかというのは会場の構造やキャパシティや制約も考慮しなくてはいけないのでテーマの次は会場選定だった。慶應大学の協生館でやれそうということになって、下見をして、そこでどういったことをしようかと現場を見ながら考える。

今年は祭りっぽさを出したかったので、飾り付けなんかもある程度ここで考えていた。
・入り口にはドーンとスポンサーの名前が入った提灯が並び
フォワイエに続く階段には個人スポンサーの名前がズラリ(金壱万円みたいな)
・階段にはスポンサーの「のぼり」がはためき
・階段をあがると屋台が両サイドにあって
・お祭りには祭壇が必要なので階段を二段階あがったところには小さなお社
・ご神体は○○○の○○○
・神社にあるガランガランと鳴らす大きな鈴はさすがに無理なのでiPadでそういうアプリ作る
・なぜかお賽銭箱もあって気の済むだけお金を放り込める
みたいなかんじ。

実際どこまで出来たかはご来場いただいた方ならわかると思うけど、だいたい出来た。

スポンサー名入りの提灯はすでに色々なところで見たと思うので割愛。個人スポンサーの見せ方は、コアスタッフのもんもんに任せて結果的にこうなった。持ち帰りも可能でとてもよい出来だと思う。




小さなお社は色々あって出来なくて結果的には「中秋の名月」の日にちなんでお月見セット&掛け軸とした。掛け軸はPerlにちなんだ内容となっていて詳細はこちらを参照。さらにちなむと、この書は全て自分の奥さんに書いてもらった。すごく…上手です…。
IMG_6184.jpg

掛け軸は両面テープのフックでかけようと思っていたけど「何人も壁に何かを貼るべからず」と当日言われ泣きながら駅の中に入っている無印良品で背が高い棚を買って組み立て、そこから吊るすという作戦を思いついて実行した。なかなか機転の効いたよいアイデアだなーと自画自賛。(これも人手があるおかげ。ボランティアスタッフさまさまです。)
IMG_6170.jpg

屋台はこんなカンジで防災的な制約なんかもあってこうなった
IMG_6408.jpg

その他の企画についても、スポンサー向け・参加者向けともに色々と出来た。何をするか、何をしないかの判断は「初めて来た人がどう感じるか」「参加者にどう感じてほしいか」という観点で考えて、イマイチなものについては基本的にやらない。何かをする時は 企画→見積り→予算調整→実行 というのをするが、見積りの時点で費用だけではなくスタッフの手間がどのくらいかかるかも検討して「それでもやるべき」という判断をしない限りはやらない。 というわけでやったものの紹介。

ぼっち対策用の「強制チーム化」はよかったと思う。これはお弁当を配ってる図。
298_large


スポンサーの話を聞きながら豪華お弁当が食べられるランチセッションもよいものだった。
315_large


トートバッグスポンサー、今年はスカイアークさん。とてもしっかりしたバッグで参加者から好評でそらちゃんも可愛くてこれ普通にイベント後も使えます。



屋台も参加者から評判がよくて安心した
IMG_6413.jpg
IMG_6415.jpg

boketeの無課金ユーザーやってるこの写真が好き
376_large

(C) JPA

全ての会場でスピーカーの後ろに用意したバックパネルはスポンサーから評判がよかった。搬入と搬出なかなか大変だったけど!
DSC01562

あとは、会場の椅子の背に広告を貼れる「椅子ポンサー」を去年に引き続きやった。内容は基本おまかせしているので当日知るのだけど、それぞれのスポンサー企業の特色が出ていてよかった。

メインホールはデータホテル株式会社。
IMG_6361.jpg

2つの多目的教室はスカイアークさん。今年も色々ありがとうございました。
DSC02123

イベントホールは、はてなさん。YAPCでしょっちゅう言ってることと、自社のプロダクトをうまくかけて広告にしている素晴らしいクリエイティブだなぁとニヤニヤしてしまった。
DSC01559

ウォータースポンサーということで今年もガイアックスさんにお水をてんこ盛りで出していただいた。おかげで昨年よく聞かれた「お水どこですか…」ってのは今年は一度も聞かれなかった。
DSC01555

そして懇親会!今年はDeNAさんにまるっと全てご協賛いただきました。会場のキャパシティの都合もあり事前登録制としたけれど、料理のクオリティと酒の量と全て好評だった。
459_large

(C) JPA

大層おいしかったそうでよかった。(毎年食べられない)
419_large
426_large
(C) JPA

YAPC::Asia 公式Tシャツのスポンサーはピクシブさん!どーんと公式Tシャツを提供していただきました。



背中には燦然と輝くピクシブロゴ



公式Tシャツ以外にも、今年は個人スポンサー・スピーカー・スタッフなどで色々なTシャツを作る際ご協賛いただいたのはClubTさん。「今年のTシャツはしっかりした作りなのね」と奥さんに言われた。




シールスポンサーというのも用意して、こちらは参加者が自由に切り貼りできる名札。カヤックさんにご協力いただいて自由度高めに色々やってもらい、こちらも好評でした。嬉しい。



使い方間違ってる例。ホントは使ってる言語とか興味あることとかのシールを貼るのが正解。



タオルスポンサーはノベルティ一式と渡したYAPCオリジナルタオル。こちらはPR TIMESさんにご協力いただきました。かわいい。ていうか自宅で普通に使ってる。



トークトークの合間に流すCMはDeNAさんにご協賛いただき、動画をなんと9パターンもご用意いただいた。気合はいりまくりでありがとうございました!
351_large



また、YAPCサポーターとしてご協賛いただいた皆さん、ありがとうございました!おかげで今年も色々な企画を実施できました。


YAPC::Asia 2013で一番感動したこと


最後のKeynoteは上司である池邉さんによる「management and Perl Culture」というトークで、個人的にはそれが一番感動したというか色々と思うところがあった。

この最後のKeynoteは「スピリチュアル」と呼ばれている枠で、技術そのものではなく技術者へ向けてのメッセージのような「思い」みたいなものを話してもらう枠だ。過去にはmiyagawaさんやhidekさんやgosukenatorさんに登壇いただいて精神的に勇気づけられる、そんなスピリチュアル枠。

今年のこの枠はどうしましょうかね、とスピーカーを選ぶ時に「池邉さんがいいです」と言ってから、最終的に池邉さんが話している場面を見て、その話している内容こそ自分がその場にいてイベントの主催として参加出来ていることに対して感動した。最前列で聞いたわ。

image

池邉さんが許可を出してくれなければYAPCにこれほどまで(半年以上ずっとかかりっきりになる)時間を割けなかったし、みんなは知ったこっちゃないと思いつつも「今のYAPCやれてるの池邉さんのおかげだからね!」と内心盛り上がっていたり。まぁよい話でした。

池邉さん、色々と忙しいなかで時間を作って登壇いただいて本当にありがとうございました。感謝いたします。


牧さんのこと


ご存知の方も多いと思うけどYAPC::Asia は2010年から牧さんと自分の二人で運営をしている。役割分担としては、お金・英語・技術的な面・スピーカー選定・トークスケジュールまわりが牧さん担当でそれ以外の企画・外部との折衝・全体のとりまとめなどは基本的に自分が担当している。

クロージングで牧さんが「今年でこのコンビは引退です」と発表した後に、突然「一言どうぞ」とふってきて、何も考えてなかったので色々と言いたいことありすぎてパッと言葉に出来なかったんだけど牧さんとは本当に4年間(実質3年半だけど)一緒にYAPCというものを作るために色々あった。

牧さんと俺は性格全然違うけど共通してるのは、決断が早いことと具体化するまでのスピードが圧倒的なところかなと思っている。YAPCに関しては軸足がわかっているのと役割が分かれているので安心して背中を任せられるというか、わかりやすくいうと相棒ということになると思う。

たしか前夜祭か初日のかなりバタバタしているタイミングで、LINEのスタッフグループチャットに牧さんから色々と指示が飛んでいて最後に「でも櫛井さんが言うことが最終的に正しい内容なのでそれに従ってください!」と書いてあるのを見て、この二人の信頼関係を見たような気がして胸がキュンとしました!と、スタッフの一人に言われたのだけど、胸キュンはよくわからんけども自分と牧さんはそういうカンジの関係性です。

準備をしているとうまくいかないことや、本業の合間でスタッフがすれ違いながらの作業となってしまいイラッとしてしまうこともあるのだけど「がんばって!」「そこをなんとか!」「あとちょっと!」とかなんかうまく言えないけど「一番反応して欲しいタイミングで励ます」みたいなことをYAPC準備期間になるとお互いにやっているなと思う。(この数日、本編終了後の一番大きな作業である動画編集で自分がかなり苦労してもう動画とか俺たくさん見たからいらねえわー飽きたわーとか言ってるタイミングで励ましてくれるのは牧さんだったりもする)

自分が企画を考えて、それに対してどのくらいの予算がかかるかを見積もって、この企画をやる意味と
参加者がどう感じるか、その正当性、お祭り感、いいからやりましょうよ!と牧さんにプレゼンをするのだけど「んー、じゃああと20万スポンサー見つけてきて」と言われてイラッとすることもあったし、チケットの売上ペースが悪いからこのまま行くと予算的にショートする可能性が高いからスポンサーもっと集めて!とか言われてイラッとしたけど「スポンサーメニュー色々組み合わせてバルク割ってことでいかがでしょうか?」って提案してなんとか帳尻あったりとか色々あった気がするけど、まあ基本的にお互いの役割なので自分のやるべきことをやりきれたかなと思っているのでよかったかな。たぶん。


で、YAPCに関しては言いたいこと沢山あるし、どっちかっていうとそれは感謝でしかないんだけど、もっとわかりやすく、今まで関わってくれた人達にどうやって感謝を伝えたらよいのかはパッと出てこなくて結局スタッフの打ち上げの乾杯挨拶としてはこんなことを言った。

クロージングでは言えなかったけど、牧さんとは4回一緒にYAPC::Asiaというイベントをやってきて皆さんからすれば我々は夫婦のように両輪としてがっちりうまくいってるように見えるかと思います。お互いに役割を理解できていて、すごくよいイベントに育てられたと思います。今後も技術系のイベントなどやっていきたいですし、またどこかの会場で皆さんにお会いすることもあるかも知れませんがその際は宜しくお願いします。来年以降のYAPCには私は基本的には関わりませんが、アドバイスなどは出来ると思います。まずは今年のYAPCお疲れ様でした、ありがとうございました!

そう、夫婦みたいな阿吽の呼吸みたいな、そういうかんじだったと思う。一部からは「櫛井さんと牧さんの掛け合い漫才」と呼ばれていたけどね…。 まぁ、YAPCに関してはお互いに言いたいことを言い合ったし、最終的に向いているゴールは同じだったし、やりきったかなと思います。

ジョジョっぽく言うと

ありがとう 牧さん 本当に… ……本当に…… 「ありがとう」… それしか言う言葉がみつからない…

みたいなかんじ。まぁそんなしみったれた雰囲気がお互いないけどね。ちなみにこれはSBRだよ。未見な人は見てね。


YAPC::Asiaのこれから


YAPCを何年もやってる人達が運営から外れるってことはやっぱりPerl おわた?」って思われたりするかなと思っていたら、全くそんな意見は見かけなくて、むしろ「来年やるために自分に何が出来るだろう?」という
気持ちや言葉を沢山見かけるのですごく嬉しい。

反面、「こんなカンジだったら去年の段階で『来年もうやりません』て宣言したほうがよかったんじゃね?」なんて少し思ったりもしてる。難しいもんですね。

YAPC::Asia2013に行ってきた - 103
ルーティンで目的も曖昧になりながら続けていく、という話のほうがよほどおぞましいし、必要な新たな展開のための一手としてこうします、という話なのだから具体的だし建設的だと感じた。
という形で受け止めてもらえたのは嬉しかった。やっぱり、ずっと同じ人がやるってそれはそれでよくない面もあるしね。

来年はもうキッパリ関わらないつもりなので引継ぎというかそういうのは「YAPCでやったことの全て」というタイトルで多分3部作くらいになると思うけどブログエントリにまとめるつもり。Open & Share の精神てやつで。「それ電子書籍で売ったら?」って言われたけどよくわからんので未定。


俺のようなプログラムを書いたことの無い人間が「櫛井さん櫛井さん」と皆さんから多少なりとも親愛の情を込めて呼んでいただけるだけで大変嬉しいので、じゃあ自分はどんなことを返せるだろうかと考えながら企画をした三年か四年だった。

先達から預かったバトンを落とさないように、それがどういった形状でどのくらいの重みなのかはわからないけど、悪くない形で4回分は預かれたかなーとは思う。が、次回については1000人規模である必要ないと思うし場所も東京じゃないとダメってこともないし(今年は地味に神奈川だったし)、まぁなんていうか色々な形のYAPCがあっていいと本当に思うので、来年は Yet Another YAPC ということで宜しくお願いします。イベントっぽさをマシマシにした張本人が言うなってカンジはあるかも知れないけど喋る場所と、喋る人がいれば、とりあえずそれだけで事足りるはず。



というわけで、ボランティアスタッフの皆、スピーカーの皆さん、参加者、スポンサー、そしてYAPC::Asiaに関わっていただいた全ての皆さんに感謝。本当に、ありがとうございました!

ブログを書くまでがYAPC ということで、俺のYAPCやっと終わる!お疲れさんでした!

173_large

288_large

395_large

780_large

781_large
(C) JPA



最後に、いつも支えてくれた奥さんと、安らかな癒やしを与え続けてくれた娘に感謝。